くじらとぺんぎん日記

すきなものについて語る場所になります。たのしかったことを詰め込みます。ゆるるとまるる。

関ジャニ∞のくれる「現実的な非日常」

 

関ジャニ∞がメトロックに出てからずっと漠然と考えていた

「私は関ジャニ∞に何を求めているのか」

を自分の思考を整理しながら残しておこうと思います。

ちなみに何の根拠もありません。あくまで「私が」彼らに求めているものであり、他の方は異なることもあるかと思います。その違いもまたアイドルだからこそ。

 

事の始まりはもちろんあのメトロック。ちなみに私はそのころ舞浜の夢の国でTwitterにかじりつき全力でレポを漁るという有意義な休日を過ごしてました。レイジングスピリッツでお隣さんの「新木場あっちの方かなあ」という発言に爆笑してたら、コースター一回転して終了してました。持つべきはオタクの友人。

そんなメトロックでロック好きな方々の目に触れて、拝見したのが「バンドでも全然いける」「バンドとして他のフェスに来て欲しい」などなどの感想。関ジャニ∞のバンドがこうやって認められていくのが本当にすごいことだなあと感動している。先日発売された「音楽と人」にもレポが掲載され、こんな雑誌にも取り上げてもらえるなんて…!ともはやおののいている。

 

まあそんな感じで「関ジャニ∞」と「バンド」について嫌でも考えてしまった。


私がアイドルの関ジャニ∞を好きになったのは確かだ。

じゃあ関ジャニ∞がアイドルやめてバンドだけやりますって言われたら?私はどう思うだろう。

バンドのエイトも大好きだし、今の私(オタクになっている状態)なら本人たちがそこに絞りたいって言われてもそのままファンでいたいと思う。でもそれはたぶんここまでの道のり苦労関係全部知っててひっくるめて応援したいと思っているから。スタートラインがやっぱり違うから。あとは音楽をバンドに絞るって言われるのと、アイドルやめますっていうのもまた別問題だから、一括りでは書けない部分も多いんですけど。

 

じゃあ関ジャニ∞がアイドルじゃなくて純粋なバンドだったら。ここまでのめり込んだろうか?

正直わからない。嫌いではないけど、まず、関ジャニ∞を知るきっかけがなかったかもしれない。バンドってライブ活動に重きが置かれるから、バラエティや普通の歌番組に頻繁に出るわけでもないし、テレビにレギュラー持ってる人なんてほとんどいない。それでもファンを引きつけていくパワーがある。関ジャニ∞にそれができるかできないかは分からなけれど、そういう音楽にうとい私からしたらまずそこに出会うことすらなかったんじゃないか。そう思うとやっぱり関ジャニ∞がアイドルでよかったと思うのです。彼らがアイドルだから出会えた。

…あ、やばい、壮大なポエムになってきたぞ。

 

 

アイドルである関ジャニ∞に感謝したところで、

じゃあ私は、

「アイドルである関ジャニ∞に何を求めているのか?」

 という方に切り替えて考えてみました。

 こんなこと考えたって仕方ないだろ、と思いつつ、ここ3週間くらい仕事中もずっとぼんやりと考えてました。

 

私が彼らに求めているのは

「現実的な非日常」である。

 

たどり着いたのが娯楽の根幹を言ってみましたみたいな、捻りも何もないこの答え。どんなにこねくり回しても結局思考はシンプルなんだと実感してます。(頭が弱いだけとか言わないそこの人)

 

 

しょーもない現実を頑張って生きてる彼らに、共感したり、パワーをもらったりする。キラキラしてなくたっていい(してるけど)、苦しそうでもいい(フェチじゃありません)、それでもしょーもないこの世界でちょっと私の日常にない何かを生み出してくれるのが彼らで。しょーもない世界って彼が感じながら生きてるのが伝わってくるのが他のグループとの違いかな。

しょーもない世界と切り離されて現実を忘れるくらい美しい世界だってあるし、完成された作品もある。もちろんそういうものを観るのも、大好きなんですけど、わたしが彼らに求めてるのは違うなって。

完璧じゃなくていい。不器用な彼らのそういう部分からエネルギーをもらってるんだ。限りなく現実だけど、 私にとっては非日常な彼らの日常を求めているんだと思う。

 

 

その彼らの日常を発信するのに音楽があって、バラエティがあって、お芝居があって、彼ら自身がある。

こういう風に発信するツールが多いのがアイドルで、その分布図が無駄に広いのが関ジャニ∞の強さだと思ってる。形は全然綺麗じゃないけど、あっちこっちに鋭角に突き刺さるものを持ってるのが彼らの強さ。その刺さった部分からたぐり寄せられて「関ジャニ∞」自身という魅力にたどり着いているんだろうな。

これがアイドルじゃなくて、バンドだったとしたら日常を発信することはなくて、音楽というメッセージで勝負するってことで。私の日常への寄り添い方がまた違ったものになっているんだと思う。

 

その分布の広さが去年くらいまでは「なんでもできる」という言葉に甘えてるような、そんなふうに見えることもあった。本人たちはそんなつもりなかったと思うけど、それでもしっくりこないことが多かった。もっとできるはずなのに、ってモヤモヤしてた。楽曲が良くても、プロモーションが悪い。パフォーマンスが良くても、構成が響かない。全然尖ってないってうのかな、本人たちとかスタッフとかの思惑が広がりすぎてるような。輪郭が見えたり見えなかったりで、好きな気持ちはあるのにそれが良いんだか悪いんだか全然わからなった。

 

それが今、ようやく「なんでもできる」強さに昇華でき始めてるんだと思う。関ジャムやクロニクル、メトロック、さまざまな入り口から関ジャニ∞を知って「好き」という気持ちを多少なりとも得るひとが増えてきた実感がある。

広げたものを研ぎ澄まして、いろんな方向にいる人に突き刺さるものができている感覚。そう考えると、あのぼんやりしていた時期はたたき台を作ってたとも思える。広げまくったフィールドを回収するんじゃなくて土台に作り替えちゃうくらいのパワーが伝わってくる。

特に、今まで「陽気なお兄ちゃんたち」という入り口が圧倒的に一般のイメージだったものが、「関ジャムでの彼ら」というパーセンテージが上がってきた。はず。それはいろんな方向に刺さる『音楽』を発信できている証拠。それは彼らの楽曲だけじゃなくて、音楽を通して発信する関ジャニ∞全てで。それが今の関ジャムなんだと思う。わ~良い番組!!!拍手!!!

 

彼らの日常って本当飾らないからすごく現実的で、実際に自分の近くにいるんじゃないかと思わせる距離感なんですけど(例えばスーパーで魚買ってるすばるくん)、それでもやっぱり自分の日常と実際に交わることはなくて(例えば街中での遭遇)、私にとってはそれがすごくちょうど良いんだと思う。やっぱり彼らはアイドルなんだと逆に実感する。
たまにプライベートのエピソードで「〇〇くんと△△くんがごはんに行った!」とか聞くとオタクは「そんなことあるのかよ!それどこの夢の世界だよ!」って突っ込むことあるけど、つまりはそういうことだと思う。私にとってはやはり彼らは現実的な非日常。
 
 
 
リアルに生きてる彼らを感じられるから、彼ら自身が音楽を作る姿が好きで。彼らが笑ってる姿でこっちも笑えて。彼らの創るもので泣けたりもする。彼らからしたら大したことない日常が私のしょーもない日常を支えてくれている。
収集つかないんで、自分の思考を全然回収できてないけどここらへんで一度たたみます。おじさんたち毎日生きててくれてありがとうございます。あーーーーー世界ってすばらしい。